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「画面は大きければ大きいほど、仕事は捗るはずだ」
かつての私は、そう信じて疑いませんでした。Mac miniに27インチの大きなディスプレイを繋ぎ、さらに外付けのハブにはいくつもの周辺機器がぶら下がっている。それが「フリーランスの戦う城」だと思っていたのです。
けれど、築数十年の古民家に移り住み、縁側から差し込む光や、時折聞こえる鳥の声に耳を澄ませる暮らしの中で、ふと気づいたことがあります。
私の視界に入っていたのは、便利なはずの「広い画面」ではなく、実は「膨大な情報のノイズ」だったのではないか。
面倒くさがりで、つい意識が散漫になってしまう私にとって、大きな画面は自由の象徴ではなく、私をデスクに縛り付ける鎖になっていました。
「もっと楽に、もっと軽やかに、この古民家の空気のようにシンプルに働きたい」
そう願った私が最初に行ったのは、あんなに大切にしていた32インチのモニターを、そっと箱にしまうことでした。
今回は、私が大型モニターを捨てて、MacBook一台という「究極の引き算」を選んだ理由と、その先にあった「驚くほど静かな思考の時間」についてお話ししようと思います。
## 「便利」は時にノイズになる

かつての私は、「効率化」とは「一度にたくさんの情報を処理できること」だと思っていました。
左のウィンドウでリサーチをし、右のウィンドウで執筆をし、端っこでチャットツールを監視する。32インチの広大なデスクトップは、私のマルチタスクを支える頼もしい相棒でした。
しかし、この古民家に引っ越してきて、静かな時間の中で仕事をするようになると、ある違和感が膨らんできました。
「私は本当に、集中できているのだろうか?」

ふと顔を上げると、視界の隅には常に読みかけのブラウザタブや、点滅する通知アイコンが入ってきます。 それはまるで、静かな部屋の中で、常に誰かに話しかけられているような感覚でした。
「面倒くさがり」な私は、意志が強いわけではありません。
情報があれば見てしまうし、通知が来れば気になってしまう。
広い画面は、私に「自由」を与えていたのではなく、私の散漫な注意力を「拡散」させていただけだったのです。
## Mac mini から MacBook Airへ。「開く」だけの儀式

そこで私は、思い切ってデスクトップのMac miniと大型モニターの使用をやめ、MacBook Air(ラップトップ)単体での運用に切り替えました。
正直、最初は不安でした。
「画面が狭くなって、作業効率が落ちるんじゃないか?」
「いちいちウィンドウを切り替えるのが面倒なんじゃないか?」
しかし、実際にやってみると、その不安は「心地よい誤算」へと変わりました。
MacBook Airの13インチという「制約」された画面では、一度に一つのことしかできません。
文章を書くときは、エディタだけ。
調べ物をするときは、ブラウザだけ。
この「強制的なシングルタスク」が、私の怠け者体質には驚くほどフィットしたのです。
よそ見をするスペースがないから、目の前の作業に没頭するしかない。
結果として、作業時間は以前よりも短縮されました。
## 「制約」を支える、賢い相棒たち

もちろん、ただ不便に耐えているわけではありません。13インチという限られたキャンバスを最大限に活かすために、私はMacに備わった「賢い機能」たちをフル活用しています。
- Mission Control: 散らかったウィンドウを一瞬で整理する。
- ステージマネージャ: 今やるべき作業だけにスポットライトを当てる。
- Split View: 画面を半分に割り、二つの情報を並行して扱う。
これらの機能を使いこなすことは、いわば「脳内の引き出し」を整理する感覚に似ています。32インチの広大なデスクに書類を広げるのではなく、必要な時に、必要なものだけを目の前に呼び出す。
また、どうしても一時的に広い領域が必要な時は、iPadをサブモニターにする**「Sidecar」**という選択肢もあります。
「物理的な画面」は小さくても、テクノロジーを味方につければ、思考の広さは無限に保てる。そんな私の具体的な「画面の使いこなし術」については、こちらの記事でも詳しく解説しています。
## ケーブルを抜き、古民家の余白を取り戻す
大型モニターを手放した副産物は、デジタルの中だけではありませんでした。
デスクの上から、モニターの巨大な黒い板と、太いHDMIケーブル、電源コードが消えました。
そこに残ったのは、愛用しているMacBook Airと、お気に入りのコーヒーカップ、そして古民家の窓から見える借景だけ。
ガジェットブロガーとして、デスクを要塞のように構築することに憧れた時期もありました。
でも今の私には、MacBookをパタンと閉じて小脇に抱えれば、すぐに仕事が終わり、ただの「生活の場」に戻れるこの軽やかさが、何よりもしっくりきています。
## まとめ:ミニマルなのは、デスクではなく「心」だった

モニターを捨て、ケーブルを抜き、13インチの小さな画面に向き合うようになってから、私の仕事時間は明らかに「静か」になりました。
かつては「あれもこれも」と情報の波に溺れ、効率化という名の迷路を彷徨っていた私ですが、今は違います。画面が狭くなったことで、皮肉にも「今、自分にとって本当に大切なことは何か」が、以前よりもずっと鮮明に見えるようになったのです。
「引き算」とは、単にモノを減らすことではなく、自分にとっての「真実」を残す作業。
もしあなたが、日々の情報量や「もっと便利にしなければ」という強迫観念に少し疲れているのなら、一度、目の前の「余計なもの」をそっと手放してみてはいかがでしょうか。
古民家の縁側に差し込む光が、時間とともに移ろいゆくように。 私のデスクも、そして私の心も、その時々に必要なものだけを、軽やかに選び取っていきたい。
そんな「心地よい怠けライフ」の探求は、まだ始まったばかりです。
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